当法人山内クリニックが開業25周年を迎えた今年。四半世紀の歴史を知る関係者にインタビューする第2回目は、山内俊明理事長の妻で内助の功として支えてきた山内真理子専務理事。「院長」と呼ぶ山内理事長に全幅の信頼を寄せ、開業への挑戦にも反対せず付いていきました。苦楽をともにした25年をうかがいました。
―25周年を迎えた今の心境は?
もう25年が経ったのかと。あっという間です。
―山内理事長から「開業する」と告げられた時は不安だったのでは?
院長は総合磐城共立病院に勤めていたので、開業するなんて思っておりませんでした。でも開業したい気持ちを聞いた時は反対はしなかったですね!この人なら患者様は付いてくるとなんとなく信じていました。
―当時は子育て中でしたよね?
子ども3人がいましたが特に心配しませんでしたね。のんびりしてたのかな笑 院長を信頼していたし、1、2年は大変だと覚悟していましたが、何とかなると前向きに考えていました。
―山内理事長をとても信頼されていますね。
勤務医時代に研修医の先生方がよく家に飲みに来ておりました。医者以外の方ともたくさん友人や知人がいて、周りから慕われておりました。
―開業当時は?
クリニックの仕事に直接携わることはありませんでした。院長にお弁当を届けていたので、それに合わせてみそ汁をみんなの分つくって振る舞っていましたね。開業当時は大変だと思えば大変だったのでしょうが、あまりそうは感じませんでした。
―当時、山内理事長は帰宅が遅くて肉体的に大変だったのでは?
院長の帰宅は遅かったですが、共立病院時代から急患で夜間の呼び出しもありましたし、大変なのは変わりなかったと思います。院長は学生時代にボートで全国大会優勝しているので体力はとてもありましたよ。ただ院長が悩んで帰宅した日は「人生そんなもんだよ」と励ましたこともありました。
―それから25年が経ちました。
患者様を「在宅でサポート」するという開業の目的は今も変わっておらず、これはすごいことだと思います。開業方法も分からない状態から始まり、すべてが順調ではありませんでした。それでもここまでこれたのは多くの方から精神的な支えや知恵をいただけたからです。決して院長1人ではなく、内助の功だからではなく、周りの支えがあって今があると思っています。
―長男・宏之医師が手伝うようになり、医師の長女夫婦と次女の夫も当法人に加わって働いています。
まさか子どもたちと一緒に仕事ができるとは思っていませんでした。それぞれの家族が自分の意志で医和生会にきてくれて、とてもありがたいと感謝しています。院長の人柄もあるのか、父親と一緒に仕事したいと思っているのかな?笑
―医和生会グループの今後はどうお考えですか?
いわきの中で必要とされるグループになっていってほしいですね。少しずつ世代交代して、職員みんなで力を合わせなければいけません。「あそこに行けば何とかなる」「山内クリニックがあるから助かった」と地域から思われる法人になれるよう、みんなで知恵を出して今後も挑戦していきたいですね。
(つづく)
【関連情報】
医和生会ホームページ:http://iwakikai.sakura.ne.jp/
医和生会グループ・社会福祉法人いわきの里ホームページ:http://iwakinosato.jp/
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