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投稿:2017年03月31日更新:2019年09月11日

小規模多機能型すばる

23. 終末期「私の想い」㊤~104歳・木幡さん

↑ちゃんちゃんこ姿で104歳の誕生日を迎えた木幡サト子さん=2017年3月25日・医和生会小規模多機能型「すばる」

● 何気ない親子の時間
西日が「すばる」のホールを染める3月の夕方、サト子さんは東の部屋のベッドで夕食を取っていました。大きく口を開き、食事介助する英雄さんのスプーンを口に入れます。ホールからNHKが中継する国会答弁が流れる中、部屋では軟飯(なんめし)を食べるサト子さんのそしゃくが小さく音を立てます。長男とともに過ごす何気ない時間。もう深く会話することが難しいサト子さんは、毎日どのような気持ちで過ごしているのでしょうか―。

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↑長男・英雄さんの介助を受けて夕食を取るサト子さん=2017年3月13日・「すばる」

● 6人きょうだいの長女
木幡サト子さんは1913(大正2)年3月、福島県双葉町に生まれました。駄菓子屋を営んでいた家の6人きょうだいの長女。英雄さんは「長女でかわいがられて育って、家のことは手伝っていなかったのでは」と、サト子さんの幼少期を想像します。20歳で結婚し、いわき市で生活するようになりました。

● 厳しいしつけの中に愛情
「とにかく厳格だった」。英雄さんがそう言うように、6人の息子を生んだサト子さんはしつけに厳しく、態度が悪い時は物差しで「ピシっ」とたたくことも。当時はまだ多くの国民が貧しかった終戦間もない昭和。サト子さんのしつけについて「今の時代では考えられないだろう」と英雄さんは語るも、その厳しさは子どもへの愛情と感じています。英雄さんが高校を卒業した後、必死に仕事を探したのはサト子さんでした。さらに、英雄さんの弟たちが小、中学校に通っていた時は、わが子の充実した学校生活を願ってPTA活動にも積極的に参加しました。

● 内助の功
サト子さんは鉄道員として働く夫を献身的に支えました。夜中や早朝出勤で勤務時間が一定でない一家の大黒柱をゆっくり休ませるため、夫が家にいる間は静かにするよう子どもたちに厳しく注意しました。「外に出ていなさい」と、子どもに怒鳴ったことも。これらの厳しさは、家を守ろうとする責任から生まれ、内助の功の表れだったようにも思われます。

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↑みんな落ち着いている夕方の「すばる」のホール。右奥がサト子さんのいる3号室=2017年3月29日

● かたくなに、自宅で夫の葬式
夫を亡くしたのは1994(平成6)年の夏の深夜。夫が朝に腹痛を訴え、家で医師による処置が施されたものの、その日の深夜3時ごろに急変し、そのまま息を引き取りました。サト子さんは、夫の容体が急変しても同居していた英雄さんには何も告げずに病院に電話。英雄さんは、医師が家に来た慌ただしさでその一大事に気付いたといい、サト子さんについて「かたくなに自分で何でもやる人」と話します。サト子さんは「自宅から夫を送り出したい」と、葬祭場で式を行うことを頑固一徹に拒み、最終的に自宅で葬式を行いました。葬儀の準備や片付けで忙しく、悲しい様子はいっさい見せなかったサト子さん。その葬儀の日はどしゃぶりの雨が降っていました。

● 「わたしの想い」
サト子さんは晩年、きょうだい全員の介護を手伝いました。そのきょうだいは、もうこの世を去っています。お腹に管を通して延命治療をしていた妹の子どもも介護したサト子さん。その姿を見ていた英雄さんは「無理に生かしても、本人も介護する人も苦しむのでは」と、介護の辛さを口にします。サト子さんは2016(平成28)年3月に入院し、翌月から「すばる」で生活しています。本人の口から現在の心境を深く聞くことはもう難しいですが、英雄さんは母親の想いを「わたしの想いをつなぐノート(わたしノート)」(※記事最後に解説)で代弁しています。DSC_7852 (640x420)
↑サト子さんの想いを英雄さんが代弁して担当スタッフが記した「わたしの想いをつなぐノート」の一部。英雄さんの許可を得て紹介しています。

平成28年9月4日
継続的な栄養補給は希望しないが、点滴などの水分補給は希望する。
延命治療は希望しないが、痛みは取ってほしい。
最期を迎える場所として私は以下を希望する。自宅 「すばる」

私の想い(長男様)
「食べられなくなったり、自分らしく生きる事ができないなら、生かすためにする処置は希望しません」
「可能であれば、最期の1週間位は自宅ですごし、旅立ってほしい。母親は夫のことを自宅で看取っていて、自分もそうしてほしいと考えているはず」

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↑誕生日ケーキを前に記念撮影に応じるサト子さん=2017年3月25日・「すばる」

(4月7日に続く)

※「わたしの想いをつなぐノート」とは
終末期の自分らしい過ごし方を考えるきっかけにしてほしいと、いわき市が作成した冊子。治療の回復の見込みがなくなる段階の終末期、延命治療を望むか、最期を迎えたい場所などの意思表明を記します。
医和生会山内クリニックの家庭医・岩井里枝子医師がこのノートをコラムで紹介しています(https://iwakikai.jp/blog/454/)

【関連記事・動画】
・「終末期『私の想い』㊥~介護する長男」 2017年4月7日投稿:https://iwakikai.jp/blog/2040/

・「終末期『私の想い』㊦~介護する職員」 2017年4月14日投稿:https://iwakikai.jp/blog/2050/

・記事「104歳、おめでとう!・「すばる」で誕生日会」 2017年3月25日投稿:https://iwakikai.jp/blog/1780/

・動画「木幡さんの誕生日会」 2017年3月25日投稿
https://youtu.be/9Mwl30JKMVs