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2017年09月08日

医を業として・齋藤光三氏伝記

137. 医を業として・齋藤光三氏伝記②~昭和の地域包括ケア

「老人を生活の場から切り離さない」。福島県いわき市勿来地区の齋藤内科(現在は閉院)では昼食やイベントも大切な“治療”の時間だ。院長の故齋藤光三氏(享年82)を筆頭に全職員が患者と触れ合った。そこに患者と専門職の壁はない。リハビリを指導する人材不足は、専門外ではあるが元教諭ら地域住民の協力で支える。齋藤氏は、地域の専門職や住民らとの連携にも積極的だった。40年以上前に誕生した診療所デイサービスと齋藤氏の想いを紹介する不定期連載の2回目。

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↑お年寄りと職員が触れ合った齋藤内科での昼食

● 患者や職員が楽しんだ新年会
慢性疾患、半身不随症、認知症などのお年寄り患者50人と院長の齋藤光三氏、看護師、給食係ら職員の笑い声がホールに響く。謡曲やダンス、舞踊を披露し合うたびにわき起こる拍手。テーブルには、数日前から職員の家族や友人らでこしらえたご馳走に加え、酒、ビール。ちょんまげで黒紋付きの着流し姿の齋藤氏が、笠をかざして仮設舞台で歌う。飛び交う「待ってました!」の声。ほかの参加者も負けない。看護師が幼稚園児、小学生、高校生に扮して芸をした後、患者の86歳のおばあさんと91歳のおじいさんが手をつないで登場。「六十年後の僕たちは 齋藤内科の新年会 楽しい一日過ごしたら 今年も一年頑張ろう」。そう合唱しながらおじいさんが四股を踏むと、会場の盛り上がりは最高潮に。患者も職員も関係ない。在りし日の齋藤内科二階ホールでの新年会は、夜遅くまで続いた―。

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↑職員らが出し物を披露した新年会

● 病気、地域、年齢などを考慮しグループ編成
お年寄りと職員らが楽しい時間を過ごした「デイ・ホスピタル」は、1974(昭和四十九)年6月にスタート。増築した診療所二階84平方メートルには、機能訓練室、和室、浴室、調理室などを備えた。「デイ・ホスピタル」に通院した患者は、外来通院する患者の疾病年齢、症状、治療方針などによって選び出され、さらに、地域、年齢、性格なども考慮して1組約10人の治療グループが編成された。患者は、1、2週間に1回通う。さらに、車いす患者、認知症患者、日常生活動作の低下が著しい患者のために、1985(昭和60)年4月には診療所脇の齋藤氏の自宅を増改築し、新たな訓練スペースもつくった。

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↑新年会であいさつする齋藤氏

● デイ・ホスピタルの一日
「老人を生活の場から切り離さないで、看護やリハビリテーション、作業療法、レクリエーションなどを行い、生きる意欲を向上したり、健康の回復力を高めることができる」(昭和五十七年十月「県医師会報」)というその「デイ・ホスピタル」の一日はこうだ。患者は午前10時(※)に来院。看護師による検温、血圧測定などのバイタルチェックを一人一人受け、世間話も交えて家庭の状況や病状の経過なども語る。順番は、休憩室でお茶を飲みながら待つ。1時間後、医師が診察。その後は、機能回復訓練や、担当看護師の工夫により手芸、和裁、木工、園芸、民謡、詩吟などのグループに分かれる。昼食は、医師、看護師、給食係ら全職員と一緒に楽しむ。五目ご飯、天ぷらそば、カレーライス、煮魚、豆腐、メンチカツ、汁物などがテーブルに並んだ。希望すれば入浴サービスも受けられる。午後は自由時間。テレビやゲーム、昼寝、談話などを楽しみ、午後3~4時に帰宅する。

※当時の看護師によると午前9時のようだが、齋藤氏の文献に合わせ10時と記す

「お年寄りが来ますと、六枚とか七枚服を着て来ますし、話をしても耳が聞こえないんです。そんな時でも丁寧に対応しなくてはいけないんですが、外来の中ではとてもそんな余裕はありません。大病院になりますと流れ作業です」(平成九年「いわきふれあい・ふくしま塾講演記念集」)。そのような不満を抱えていた齋藤氏は、この「デイ・ホスピタル」で一人一人への丁寧な診察を実現させた。

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↑お年寄りと寺社へ散策

● 日帰り旅行も
春は花見、秋には紅葉狩りも楽しんだ。観光バスを貸し切っての日帰り旅行だ。参加者には脳卒中で歩行困難の患者もいる。医師、看護師、事務員、家族も同行し、医療品のほかポータブルトイレと遮蔽(しゃへい)用の暗幕も持参。1974(昭和四十九)年10月に開かれた初のイベントには、41人が参加した。このほか、健康教室を開き、患者や家族の生活・食事指導にも力を入れていた。開設初年度は毎月開講し、その講話のタイトルは「夏の健康」「糖尿病の食事」「高血圧の食事」「肥満」など。齋藤氏、看護師、保健所の栄養士らが講師を務めた。秋には、患者、家族との懇談会も開催して交流を深めた。

● 人材不足は地域住民が支援
リハビリテーションを指導する専門家は十分ではなかった。理学療法士や作業療法士もいない。だが、元高校の体操教諭、書道が得意な元小学校校長らが代わりを行う。家庭科の元中学校教諭は、病弱なお年寄り向きの手芸の指導に当たった。レクリエーションでは、いわき民謡保存会のメンバー、英語教室の講師などが活躍。4月8日のお釈迦様の誕生日「灌仏会(かんぶつえ)」には、僧侶がボランティアで講話したという。人材不足は、地域住民の協力で支えられていた。

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↑閉院し建物だけが残る現在の齋藤内科=2017年7月27日、いわき市勿来地区

● 「地域の問題は地域で解決すべき」
地域医療・福祉の発展のために何が必要か。齋藤氏はこう考えていた。「地域住民の福祉は、行政だけで完成されるものではない。訪問看護は、市と民間病院、開業医、社会福祉協議会、PTA、青年会議所などの諸団体、ボランティアなど多くの住民が参加し、支えて行かねば成功しない」(昭和五十六年「市制施行十五周年記念福島民報優秀提言」)。さらに、医師、看護師、保健師、介護ヘルパー、地域住民と話し合いをした齋藤氏は、こう結論付けた。「地域看護をめざして、地域医療のネットワークをつくろう、地域の問題は地域で解決して行くべきだ」(昭和五十年六月「看護学生」)。昨今、厚生労働省が「自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)の構築を推進しています」と積極的にうたう40年も前の話だ。

(続く)

【参考文献】
昭和五十年六月「看護学生」
昭和五十六年「市制施行十五周年記念福島民報優秀提言」
昭和五十七年十月「県医師会報」
昭和五十九年七月「県医会報」学術欄
平成九年「いわきふれあい・ふくしま塾講演記念集」
以上は「平成十六年1月発行『老人医療断想 終の棲み処』 著・齋藤光三氏 編集・日々の新聞社」に収録

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