当法人医和生会(いわきかい)グループの社会福祉法人「いわきの里」の施設長で、いわきバスケットボール協会の村井弘副会長(68)はこのほど、いわき市スポーツ功労賞を受賞しました。四倉中教諭時代に福島県勢として初めて部員を全国大会に導き、いわきの中学校バスケ界の底上げに貢献。協会の役員として選手や審判員の育成、市教育委員会の職員として「ふくしま国体」の運営にも尽力したのが評価されました。
● 福島県勢初の全国大会に導く
体育教諭だった村井副会長はバスケットボール部の顧問として、いわき市の貝泊、四倉、藤間、平二の4中学校を歴任。四倉中時代には部員全員がバスケ初心者だったにも関わらず、赴任3年目の1979(昭和五十四)年度、女子バスケットボール部を福島県勢で初めて全国大会に導きました。当時を振り返る村井副会長は、各選手の身体能力が群を抜いていたのもあったが、高校生とも練習を組んで走り勝つバスケを鍛え上げたという。最後の数分で逆転できる体力をつけるためにも徹底した走り込みをし、秋田県のバスケの名門校・能代工高のゾーンプレスを目指して全国切符を手にしました。以後、赴任する学校すべてのバスケ部を県大会に導きました。
● 「ふくしま国体」運営にも尽力
市教委保健体育課指導主事の時代には、1995(平成七)年に開催された「ふくしま国体」の運営にも尽力。いわき市では5種目が実施され、そのうちのバスケットボールは成年、少年の各男女の計4種別を1市内で同時開催させるのに成功。そのほか、1993(平成五)年までの8年間をいわきバスケットボール協会審判副委員長と常任理事として、2011(平成二十三)年を除く2008(平成二十)年から現在まで同協会の副会長を務めています。2月10日の表彰式では受賞者を代表し、村井副会長が謝辞を述べました。
● いわきのバスケット界 「引き続き応援していきたい」
村井副会長は、受賞は家族や職場、チームメートの支えのお陰と感謝し、今後もいわきのスポーツ界や健康づくりのために力なりたいと抱負。いわきのバスケット界については、運営や審判のレベルは高いと自負する一方、育成面で課題が残り、中学までは県トップレベルながら進学すると優秀な選手が市外の名門高に流出するため高校が伸び悩んでいるという。村井副会長は「陰ながら引き続き応援していきたい」と話していました。
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「学校長の経験も生かし、介護施設を運営・『いわきの里』村井施設長」 2017年10月27日投稿:https://iwakikai.jp/blog/2865/
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