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2020年03月19日

食育・口腔ケア 食べることは生きること・市川文裕氏伝記

780. 食べることは生きること・「食介護」を生んだ市川文裕氏伝記①~治療は手段、目標は食べること

栄養摂取のためだけでない、生きる意欲がわく「口からおいしく食べ続ける」ための介護を追求した歯科医師がいわき市にいた。日本で初めて「食介護」を提唱した一人で、普及に尽くしたその男の名は市川文裕氏(享年56)。1990年代後半、歯科医師と歯科衛生士の数人で立ち上げた勉強会は、ほかの医療・介護の専門職のみならずシェフや教員らあらゆる職種をも巻き込んで急速に活動の輪を広げていった。「食」を軸にあらゆる専門職が連携支援する革新的介護を確立させ、日本各地に広がっていった矢先にがんが発覚。それでも命を削って活動を続け、12年前に志半ばで旅立った。日本の介護史に彗星のごとく現れた市川氏の功績を刻む不定期連載の1回目。(「地域連携・企画広報課」・西山将弘)

 

日本で初めて「食介護」を提唱した一人の市川氏

 

● 今も息づいている「食介護」

いわき市平地区の地域密着型特別養護老人ホーム「ひなた」のある日のお昼時間。スタッフやお年寄りはテレビ画面に向かい、映る女性の動きに合わせて食前体操をしていた。ラジオ体操の曲に合わせて口を大きく開けたり、舌を突き出したり、頬をマッサージしたり。食べ物を飲み込むために必要な筋力を維持するために考えられたこの体操動画は、市川氏が20年前に監修したものだ。食事が始まるとお年寄りは「おいしいよ」と天ぷらを口に運び、よくかんで飲み込む。市川氏が亡くなってから12年―。「食介護」の教えは今も息づいている。

 

市川氏が監修した食前体操の動画を見ながら運動するお年寄りと職員=2020年2月5日・いわき市平地区の地域密着型特別養護老人ホーム「ひなた」

 

食前体操後に食事を楽しむお年寄り=2020年2月5日・いわき市平地区の地域密着型特別養護老人ホーム「ひなた」

 

● 内郷地区で育った幼少期

市川氏は1951(昭和二十六)年7月、母の実家の東京で誕生。歯科医師の父が開院していたいわき市内郷地区で育つ。父からは将来跡を継ぐよう、大きな期待を背負わされた一人っ子だった。幼稚園は集団生活になじめず数週間で退園。綴小学校時代は東京のデパートで購入した洋服に身を包み、都会育ちの両親の影響で標準語を話すため、荒れていたという当時の炭鉱地区では格好のいじめの対象だった。兄のように慕った近所の幼なじみと一緒に遊ぶ日々を過ごし、内郷一中時代は自宅で毎日遅くまで勉強していたという。

 

● 音楽に目覚めた高校時代

進学校で知られる磐城高に進んで音楽に目覚める。当時不良のイメージのあった「エレキギター」に夢中になり、合唱部では積極的に女子高との交流会を企画。友人と「ライトミュージックコンテスト」に出場するなど青春を謳歌した。進路は父の期待に応えて歯学部を選ぶも、勉強はあまりしていなかった。三者面談で教師から「無理だ」と告げられて奮起し、猛勉強の末、日本大学歯学部に現役合格。入学後は持ち前の社交性を発揮し、旅行好きを集めて愛好会を立ち上げた。後に結婚する孝子さんは同じ旅行愛好会のメンバーだった。孝子さんは最初の印象について「なんてよくしゃべる、でしゃばっている人」と微笑み「とにかく人を集めて何かするのが好きな人だった」と振り返る。

 

「無歯科医村診療団員」として沖縄県の離島で診療する若かりし市川氏

 

● 無歯科医村診療団員として沖縄に

日大を卒業した市川氏は1978(昭和五十三)年3月までの2年間、同大歯学部保存科に勤務。その間「無歯科医村診療団員」として沖縄県や東京都の離島を巡った。南国の小さな島でも人を引き付ける魅力を発揮し、地元住民とすぐ心を許し合って毎晩のように飲み明かした。各島数週間~1カ月の滞在だったが交流は亡くなるまで続き、晩年、がんの症状を自覚しながらも沖縄県に足を運ぶほど、離島訪問は人生でかけがえのない出来事だった。同大の勤務後、都内の歯科医院で1年間働き、その間に結婚。1979(同五十四)年4月、帰郷していわき市郷ケ丘に「市川歯科医院」を父と開業した。

 

沖縄県の離島で撮影された記念写真

 

● 治療を終えても食事を楽しめない患者

現在のように訪問歯科診療が盛んでなかった1990年代前半。市川氏の同志で歯科医師の鈴木孝直氏(いわき市平・鈴木歯科医院)は「痛みを止め、止血し、歯の状態を整えれば治療が終わりというのが当たり前の時代だった」と振り返る。そんな時代に通院困難の救急高齢患者に往診していた市川氏は疑問を感じる。たとえ治療を終えても、かんだり飲み込んだりできないお年寄りは食事を楽しめないではないか―。「治療は手段で、目標は食べることのはず」。年を追うごとに使命感がふくらみ、後に350人を超す多職種集団「いわき食介護研究会」の誕生につながっていく。

 

(つづく)

 

【いわきの医療偉人伝シリーズ】

「日本初の診療所デイサービスを開設した齋藤光三氏伝記・介護が必要になれば病院や施設に行くのが当たり前だった40年以上前に在宅医療に取り組んでいた」:https://iwakikai.jp/blog/?c=%e9%bd%8b%e8%97%a4%e5%85%89%e4%b8%89%e6%b0%8f%e4%bc%9d%e8%a8%98

 

「東北・北海道初の民設民営の肢体不自由児施設『福島整肢療護園』を設立した大河内一郎氏伝記・障がい児支援に見向きもされていなかった終戦間もない時代に立ち上がった」:https://iwakikai.jp/blog/?c=%e3%81%93%e3%81%ae%e9%81%93%e3%82%92%e3%82%86%e3%81%8f%e3%83%bb%e5%a4%a7%e6%b2%b3%e5%86%85%e4%b8%80%e9%83%8e%e4%bc%9d%e8%a8%98