「治療は手段。目標は食べることだ」。いわき市の歯科医師・市川文裕氏(享年56)は、高齢患者への往診を繰り返すごとにその信念を強くしていく。介護保険制度が始まろうとする介護新時代の幕開け前夜。市川氏は仲間の歯科医師と歯科衛生士に声を掛け、小さな勉強会を始めた。「口腔ケア」だけにとどまらない、「食」をテーマにした多職種連携の革新的介護を確立させていく。日本で初めて「食介護」を提唱した一人・市川氏の功績を振り返る不定期連載の2回目。(事業推進室・西山将弘)
↑病院の研修会で職員に「食介護」を伝える市川氏=いわき市の常磐病院・2000年7月6日
● 小さな勉強会が始まる
市川氏が介護に興味を持ったのは、介護保険制度が始まった2000(平成十二)年よりも前の1990年代後半。きっかけは当時の厚生省から参加依頼を受けた「介護支援専門員指導者」の養成講習会だった。参加前、市川氏は妻の孝子さんに「なぜおれが行かなくてはいけないのか」と不満をもらしていた。それでもしぶしぶ都内での2泊3日のプログラムに参加すると、ほかの医療・介護の専門職らと交流するうち「介護保険」に興味がわいた。医療と介護の専門職が協力し合えば、食べるための介護ができるかもしれない。1997(平成九)年4月。当時「訪問歯科診療」の勉強仲間の歯科医師3人と歯科衛生士2人に声を掛け、小さな勉強会が始まった。
● 考えてたどり着いた「食介護」
その勉強会は市川氏の診療所2階を会場に月一回開催。テーマは症例の検討や往診用具の使い方で始まった。介護職と「口腔ケア」で連携しようと試みたもののなかなか受け入れてはもらえなかった。そこで「食」の問題として研修を組み立て、看護師や介護士の有志を仲間に。勉強会を重ねて食をテーマにした介護を具体化していく。おいしく食べ続けるためには何が必要か。たどり着いたその条件は、食事の雰囲気や食形態などを考えた「食べる環境」、かめるようにする「口腔の健康」、飲み込めるための「食べる機能の正常」の3つだった(※1)。市川氏はこの3つを柱にした「一生口からおいしく食べるための介護」を掲げ、新たな分野を生み出した。それが「食介護」だった。
※1
↑市川氏が講演会などで使用していたスライド
● 参加者急増 「いわき食介護研究会」誕生
「食介護」という目指すべき方向が定まり、その実現のため各専門職の役割が明確になった。歯科医師だけではなく、嚥下障がいや食事の姿勢などに詳しいリハビリ職や、実際の介助に携わる看護師や介護士、おいしく健康的な食事を考える管理栄養士らあらゆる専門職が連携し、知恵を出し合わねばならない。市川氏は医療や介護の専門職が集まる場に足を運ぶたび「食介護」の必要性を訴え有志を募った。勉強会では各職種の代表を講師に招き、身近なテーマを取り上げた。すると参加者は急増。1年後には会員数が163人を数えた。1998年10月。ついに「いわき食介護研究会」を旗揚げした(※2)。
↑市川氏が講演会などで使用していたスライド
● 会員の多さと多彩さ
「いわき食介護研究会」は設立9年目には会員が359人に達する(※3)。興味深いのは医療・介護専門外の「その他」の人数の多さ。医療販売、音楽療法士、教師、調理師、デザイナーも名を連ね、「食介護」を支えるためいかに多彩な職種と連携していたのかがうかがえる。活発な活動は全国的に注目を集め、今では多職種連携や訪問歯科診療の国内先進地として知られる千葉県柏市も含めた各地から関係者が視察に訪れていた。その活動内容はどのようなものだったのか。
※3
「訪問歯科診療で活用する食介護の知識と実践~食べることは生きること~」(株式会社デンタルダイヤモンド社)より
(つづく)
【参考文献】
2007年3月「訪問歯科診療で活用する食介護の知識と実践~食べることは生きること~」監修・市川文裕氏 発行所・株式会社デンタルダイヤモンド社
【「食介護」を生んだ市川文裕氏伝記のバックナンバー】