いわき市の歯科医師・市川文裕氏(享年56)と「食介護」を追求した初期メンバー3人が、市川氏の魅力や先駆的な取り組みを振り返る。その3人は歯科医師・小川一夫氏(小名浜地区・小川歯科医院)、同・鈴木孝直氏(平地区・鈴木歯科医院)、歯科衛生士・島美香氏(内郷地区・いわき泌尿器科)。虫歯予防の児童教育や先駆的な口腔アセスメント表づくりにも触れ、歯科診療の発展の功績をたたえています。(事業推進室・西山将弘)
● 初期メンバーは6人
勉強会の初期メンバーは市川氏を含めて6人。小川氏と鈴木氏は元々、市川氏といわき市歯科医師会の研修で一緒に勉強する仲だった。介護保険制度に興味を持った市川氏の誘いで「訪問歯科診療」を学ぶ勉強会をともにスタート。その当時、県保健所の歯科衛生士だった島氏は、障がい者への口腔ケアで悩んでいた時にこの勉強会に誘われた。島氏は「もがいていた時で、誘われたことで気持ちが前向きになれた」と当時を思い起こす。
● 増えていった参加者
メンバーは会の発足当初、市川氏の診療所で月1回集まっていた。はじめは「口腔」の勉強を重ねていたが「摂食嚥下(えんげ)」にテーマが移り、他の職種との連携の必要性を感じる。市川氏は「口腔ケア」の専門職だけではなく、「食事」や「飲み込み」を助けるプロに協力を求めるため、栄養士や看護師、言語聴覚士など様々な職種に声を掛けていった。医療や介護関係者の集まりがあれば勧誘し、勉強会の回を重ねるごとに参加者は増えていったという。
● 「魅力と情熱が人を引き付けた」
市川氏の仲間の輪を広げる力を抜きに「いわき食介護研究会」の成功はなかった。小川氏は「みんなで集まるのが好きで、人間的な魅力と研究会の情熱が人を引き付けた」と振り返る。「知識が豊富だから誰とでも話が合う。明るくて来る者を拒まず、たまに参加する人でも温かく迎え入れていた」と鈴木氏。事あるごとに市川氏から助言を受けていた島氏は「相談するときちんと受け止めてくれる人だった」と頼りがいの魅力を語る。
● 児童への虫歯予防と食育指導
小川氏は児童への虫歯予防にも熱心だった市川氏の功績を語る。市川氏は帰郷、開院してからの1980年代、郷ケ丘小で虫歯予防と食育の指導を実施した。それはいわき市内の小学校で初めての試みだった。その動機は医学生時代にさかのぼる。沖縄県の歯科医師不在の離島を巡った際、子どもへの虫歯教育の大切さを学んでいたからだった。この予防指導はいわき市全域の小学校に拡大。これを機に虫歯の少ない学校を表彰するコンクールも始まり、歯の大切さを子どものうちから学ぶ環境が整っていった。
● 色あせない口腔アセスメント表
食介護の視点も入れて市川氏が作成した口腔アセスメント表(※)は全国各地に広まり、現在の歯科業界のスタンダードになっているという。そのアセスメント表について、鈴木氏は「今も色あせていない」と感服。小川氏は「(市川氏が)当時考えていたことが、今現在起こっている。もっと生きていてほしかった」と語ると、鈴木氏は「(市川氏は)訪問歯科の口腔ケアステーションの構想を持っていた」と先見性を思い出す。島氏は「生きていたらもっと面白い取り組みを展開できていただろう」と惜しむ。「(市川氏の)バイタリティがすご過ぎて誰もまねできない」と口をそろえる3人。懐かしいアルバムのページをめくり、偉大な足跡をあらためてたたえていた。
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【市川氏伝記のバックナンバー】