いつまでも元気に食べ続けられるために―。「食介護」を提唱した一人で、いわき市の歯科医師・市川文裕氏(享年56)は子どもへの食育にも熱心だった。学校現場で食育を進めるため二人三脚していたのが、当時中学校の校長だった村井弘氏(68)=社会福祉法人「いわきの里」業務執行理事。同年齢で仕事以外の付き合いもあり、闘病中でも弱みを出さない市川氏をそばで見ていた。「おいしく一生食べ続けられる人を増やすため、一緒に頑張ろう」。そういつも誓い合っていた村井氏は今、意志を継いで介護予防の指導を続けている。(事業推進室・西山将弘)
● すぐに意気投合
村井氏が市川氏と出会ったのは2002(平成十四)年。福島県健康運動指導士会県支部長に就任して支部研究会の講師を探していたところ、指導士仲間の管理栄養士に紹介されたのがきっかけだった。その後「いわき食介護研究会」に入会。教育現場に「食育」指導を推し進める波が来ていたころで、人生の最後まで食べ続けるための食育を常々考えていた市川氏と意気投合した。同じ年の生まれですぐ打ち解け、研修会の打ち合わせでは自宅に招かれた。だが「打ち合わせ」と称したものの、実際は仲間と懇親する時間に。村井氏は「打ち合わせが始まるとすぐ(市川氏が)『のど渇いたね。後は当日までまとめておく』と言って飲み会になる。仲間を集めておいしく食べたり飲んだりするのが好きな人だった」と社交的な人柄をしのぶ。
● 中学生がフランス料理の調理実習
中学生にフランス料理の調理実習を行えないかと提案したのは市川氏。「地産地消」をテーマに、健康や食べる楽しさ、自分でおいしく簡単に調理できる気づきを子どもたちに伝えるのが狙いだった。当時大野中の校長だった村井氏は同中で調理実習の機会をつくり、「いわき食介護研究会」メンバーのフランス料理シェフが講師役で協力。2003(平成十五)年3月。卒業式を翌日に控えた日、3年生はエスカルゴのほか、地元の野菜や果物、魚を食材にして調理して思い出をつくりました。生徒は同年の「いわき食介護学会」で感想を発表。村井氏は「子どもたちは『おいしい』とびっくりしていた。大人になってもこの体験は覚えているはず」と振り返った。
● 保護者に向けて食育講演
村井氏は翌年の秋、中央台北中学区学校保健委員会主催の講演会「食育から始めよう」で市川氏と登壇した。いわき光洋高校を会場に、保護者に向けて子どもからの食育の大切さを訴えた。だが当時、市川氏はがんだった。本人から告げられて「大丈夫ですか?」と案じても「しょうがないんだ」と笑っていたという。この講演会前に「出席できないかもしれない」とも告げられていたが、当日は元気に登壇した。村井氏は「大変なそぶりは見せなかった」と思い出す。“共演”したこの講演会の新聞記事の切り抜きは今も大切に机にはさまれ、市川氏のメッセージを忘れずにいる。
● 受け継ぐ市川氏の志
定年退職後、村井氏は当医和生会(いわきかい)グループの社会福祉法人「いわきの里」の施設長として勤務するように。「いわき食介護研究会」で出会った医和生会の山内俊明理事長との縁がきっかけだった。教育畑から一転、市川氏に導かれるように介護福祉の世界に。健康運動指導士として、市民に介護予防を指導する活動にも取り組んでいる。村井氏は「『食介護』が入口となって介護予防の活動が広がった」と道しるべになった市川氏に感謝。「一生おいしく食べられる人が少しでも増えるよう、これからも頑張りたい」と市川氏の志を受け継いでいる。
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