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2021年03月11日

山内クリニック コラム - 岩井淳一 救急救命

921. 東日本大震災から10年・DMATで医療支援した医師の岩井にインタビュー

東日本大震災から3月11日で丸10年が過ぎました。医和生会(いわきかい)の医師・岩井淳一(※)は発災直後、DMAT(災害医療チーム)の一員として現地に派遣されました。当時金沢医科大学病院(石川県)に勤務していた岩井は、翌朝には宮城県の災害拠点病院に到着。十分な睡眠も取れないまま、次々と運び込まれる患者の処置に追われました。貴重な写真の紹介も交え、激甚災害下の現場移動や医療拠点で診察した経験を振り返ってもらいました。

 

岩井淳一(いわい・じゅんいち):1977年、京都府生まれ。金沢医科大卒業後、金沢医科大学病院での臨床研修を経て、2006年に同病院救命救急科に入局。同年、DMAT(災害医療チーム)の資格を取得。2011年の東日本大震災でDMATとして現地に派遣される。2015年に同病院退職し、医和生会山内クリニックに勤務。いわき市医療センターの救命救急センターでも活躍しています。

 

災害拠点病院となった仙台医療センターに到着時の院内の様子。待合室のソファーで横になる避難者=2011年3月12日未明

 

発災時は?

地震が発生した時は、石川県にある金沢医科大学病院で勤務していました。病院も揺れて、テレビを見ると津波が押し寄せる映像が流れていたのを覚えています。ただごとではないと、いても立ってもいられずに上司に「自分を派遣してください」とお願いしました。医師、看護師、事務スタッフ合わせて5人でチームをつくって、発災当日の午後6時に病院を出発して、緊急車両とワゴン車の2台で福島県立医科大学を目指しました。

 

現地の状況も分からず、道路が陥没しているかもしれない夜間の移動は危険だったと思います。通行止めに合えば到着が遅れるでしょうし、災害下での移動はいかがでしたか?

DMATは発災後いち早く、適切に現場に向かわなければならない。チームは途中、警察や消防関係者に会うたびに道路情報を聞いて進んでいました。だから磐越自動車道に乗る時点で「仙台市までは緊急車両なら高速道路で行ける」「高速道路を降りた後に国道4号線が大渋滞している」という情報は得られていました。

 

DMATは現場に確実に到着する力も求められるのですね。

磐越自動車道に入ると携帯電話がつながらなくなったけれども、そのための備えもありました。DMATが1カ所に必要以上集まることがないよう、途中で福島県立医科大学に状況確認できたのは備えていた衛星電話のお陰です。それでそこにはすでに十分な人員が集まっていたのが分かって、人手が必要な宮城県の仙台医療センターに行き先を変更できました。トランシーバーも持っていたので、車2台に分かれていたチーム同士も連絡が取り合えました。それで無事に仙台医療センターに朝5時前には着けました。その時街は停電で真っ暗で、すごい数の星が見えたことを覚えています。

 

ヘリで運ばれる患者のトリアージをした自衛隊の仙台駐屯地=2011年3月12日午前

 

現地で担った役割は?

仮眠を車内で1時間ほどとって、ミーティングが終わった後に自衛隊の仙台駐屯地に応急救護所を設置してヘリで運ばれてくる患者のトリアージをしました。午後は仙台医療センターでの支援です。午後4時から深夜12時まで軽傷エリアで診察して、1~2時間の仮眠の後に朝4時から10時まで軽傷と中等症エリアでまた診察に当たりました。3日目は診察のほかにも、医療ニーズの情報収集で現場視察をして、引き継ぎを終えて4日目に帰りました。

 

仙台医療センターの廊下で受け入れ患者を待つ隊員ら=2011年3月12日

 

医療資源は限られ、廊下で診察に当たる岩井(中央)=2011年3月12日午後

 

発災直後の病院の雰囲気や診察はどういうものですか?

病院では救急車のサイレンが鳴り止まないで、患者が次から次に運ばれてくる状態です。本来救急車は事前に連絡を受けてから受け入れるのですが、携帯電話が使えないので連絡がないまま来ます。診察場所は廊下で、患者が待合室のソファーで呆然とした様子であふれていました。カルテがなく患者の情報が分からないから聞き取りをして、薬局がないので薬剤師と協力して残っている分を工夫して使うしかなかったです。停電なので非常電源を使っていたけどいつ切れるか分からないし、余震で時々揺れて、いつまた大きな揺れがくるか分からない恐怖もありました。

 

平時とはまったく違いますね。休む間もなく、どういう気持ちで診療していましたか?

情報もなく医療資源が限られて、もう野戦病院のような感じでした。大変でもなんとかできたのは、当たり前な言い方ですが救急医としての使命感。DMATの訓練を積んできて、それを生かせる場面でした。多少のことでは恐がらないようになって、医師の経験としては大きなものを得られました。自分を派遣してくれた和藤先生(現金沢医科大学救命救急科教授)、当時のスタッフの方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

 

現場視察で海岸も見て回ったようですね

海岸線は凄惨な光景でした。サーフィンが大好きでしょっちゅういわきの海にも行っていましたが、しばらくは海に行く気持ちになれませんでした。その時に見た風景の空気、音、匂いは今でも忘れられないです。

 

現場視察で回った被災現場=宮城県仙台市・2011年3月13日

 

現場視察で回った被災現場=宮城県仙台市・2011年3月13日

 

救急医療を志す若手医療従事者と、市民に向けてメッセージをお願いします

救急医療は内科や外科など広く浅くなんでもやります。特に災害の現場では限られた資源で処置をしなければならないこともあり、やりがいのある仕事です。市民には普段から準備をしていてほしい。食料、ガソリン、避難経路などを確認して、災害の備えを忘れないでください。

 

現場視察で回った、津波の被災現場=宮城県松島町、2011年3月13日

 

<岩井淳一医師>

紹介:https://iwakikai.jp/doctors/#iwai_jun

コラム:https://iwakikai.jp/blog/?c=column-iwai-junichi