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投稿:2019年04月24日更新:2022年12月06日

いわき医療偉人

566. この道をゆく・大河内一郎伝記⑪・完~映画「光の歌」

いわき市平の肢体不自由児施設「福島整肢療護園」に映画「光の歌」が保存されている。同療護園創設者の医師・大河内一郎氏(享年79)が、園児の胸に秘めた悲しみや願いを世に伝えようとメガホンを取った作品だ。療護園で生活する障がい児の純粋さ、我が子を心配する親の愛、成長を願い医療と教育を施す職員の熱意―。半世紀以上の時を超え、原作・監督を務めた大河内氏のメッセージがフィルムを通してよみがえる。大河内氏の生涯を振り返る不定期連載の最終回。(「地域連携・企画広報課」・西山将弘)

 

↑手術後、懸命に立ち上がり歩く園児と、励ます大河内氏ら(映画「光の歌」より)

 

● 治らないと諦める貧しい家族、閉じこもる子らが成長

「光の歌」は「福島整肢療護園」が誕生した翌年の1953(昭和二十八)年に撮影された。時間は1時間6分。小児まひは治らないと諦めている貧しい家庭の子や、差別用語でからかわれて閉じこもる子らが入園し、元気な園児とともに明るい療護園生活を送り成長するストーリーだ。大河内氏をはじめ、療護園の看護師、保母、事務職員のみならず、磐城女子高(現在の磐城桜が丘高)演劇部員、平警察署員、平児童相談所員の地域住民も出演し、園児を支える姿も描かれています。療護園での当時の生活がありのまま映され、撮影で苦労したという園児のリアルな表情が心に秘めた悲しみや願いを伝えている。本編に入る直前にメッセージが流れる。「この一篇は肢体不自由児の再起のために献身する人々が福島整肢療護園の園児とともに描いたありのままの生活である」

 

↑男児にからかわれ、悲しみに耐える女児の表情(映画「光の歌」より)

 

● 障がい児や家族の悲しみ

オープニングは夫を亡くした女性が墓の前で号泣しているシーン。子どもをおんぶするその女性は汽車が迫りくる線路に橋から飛び降りようとするが、「母ちゃん」という子の叫び声で我に返り泣き崩れる。生きるすべを失った親の絶望感が漂う。次のシーンでは脚を引きずって歩く女児が登場する。校庭で手足を伸び伸び動かしてダンスする女子高生たちを、その女児は草木の陰からじっと見つめる。その表情は無感情で能面のよう。帰宅した途端、解き放たれたかのように庭で笑い、歌って踊り出す。それを見た下校途中の男児たちは差別用語で嘲笑しからかう。カメラは今にも泣き出しそうにもじっと耐えている女児の表情をとらえている。

 

↑新入園児を温かく迎える子どもたち(映画「光の歌」より)

↑小児まひが自分だけではないと知り、笑みがこぼれる新入園児(映画「光の歌」より)

 

 

 

 

 

 

 

● 明るく元気な療護園生活

そのような悲しみを秘めた子どもたちが入園する。暗く沈んだ園児たちが集まっているだろうという想像に反し、療護園の場面に変わると明るく元気な子どもたちが描かれている。起床や掃除のシーンのほか、朝食では元気に歌を歌ってお祈り。上級生が下級生の顔をふいて面倒を見る姿も。新入園児の来所を告げる校内放送が流れると、歩行器や松葉杖を使った子や四つんばいで前進する子らが続々と玄関に集まって歓迎。新入園児はキョロキョロ目を泳がせうつむくが、小児まひ児がいると知ると安心したのか笑顔に。療護園での生活がスタート。友だちとけんかを始めると、看護師から「もっとやりなさい。もう止めるの?」と声を掛けられ、拍子抜けしたようにけんかを止めます。一緒に去っていく園児を見つめる看護師は「子どもってかわいいわね。けんかしてもすぐ仲直りできるもの」とほほ笑む。

 

↑石森山の頂上から海を見つめる園児や高校生(映画「光の歌」より)

 

● 女子高生と一緒に石森山登山

このほか、授業、大河内氏の診察、リハビリ、入浴の場面も収められている。「海が見たい」という夢をかなえてあげようと、女子高生と職員は園児を抱っこして石森山を登山。セーラー服姿で園児を抱っこしながら険しい山道を懸命に歩く。頂上に着いて海や療護園を見つけると「海だー」「きれいだな」「おーい」とみんなで手を振る。興奮し、遠慮のない素直な喜びがあふれ出る。

 

↑手術して歩けるようになった文夫君(左)と母(右)と大河内氏(映画「光の歌」より)

↑喜ぶ母に照れ笑いを浮かべる文夫君(映画「光の歌」より)

 

 

 

 

 

 

 

● 手術を受け立ち上がる

クライマックスは四つんばいでしか歩けない文夫君が手術を受け、立ち上がる場面。目隠しされた文夫君が手術台に運ばれ、手術着をまとった大河内氏から「怖くはないよ」と何度も励まされる。手術シーンは生々しい。いよいよ立ち上がる日。文夫君は廊下で手すり代わりの歩行器につかまり、脚に力を入れる。大河内氏から「そうだ」「もう一回」「頑張れ」「よし」と励まされる。立ち上がってゆっくりと細い脚を前に出すと、大河内氏から「歩けたんだよ」と喜ばれ、囲んで見届けていた園児や職員もみんな白い歯を見せて拍手する。

 

● 「幸せになれますよ」

母親が後日来園。玄関外で待つ文夫君は「母ちゃーん」と元気に手を振り、松葉杖で歩いて母親に近づく。「こんなに歩けると思わなかったよ」と目を細める母親に、文夫君は「うへへへ」と照れ笑いを浮かべる。母親は「嬉しくて嬉しくて、今までの苦労すっかり忘れてしまいました」と、大河内氏に頭を下げる。文夫君が遠くに歩いて行く後姿を見ながら、大河内氏は母親に優しく語り掛ける。「あなたは幸せになれますよ」。

 

(おわり)

 

<あとがき>

去年9月に不定期で始まったこの連載は今回で終わります。資金も無い状態から一大事業を成し遂げ、いわきの福祉を切り開いてきた大河内氏の生涯を振り返ってきました。「後ろ盾なしには不可能」と有識者に言われた青年時代の夢を実現できたのは、障がい児者への愛、初志貫徹、無鉄砲なまでの実行力、奇抜な発想力だろう。福祉の発展のためにここまで尽力した人物がかつていわきにいたという事実を伝えることで、同じ土地で汗を流す福祉関係者に「やればできる」というエネルギーを届けられるのではないか。そう信じて書いて参りました。これまでご覧になってくださり、誠にありがとうございました。(「地域連携・企画広報課」・西山将弘)

 

【この道をゆくバックナンバー】

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