山内クリニックの市原利勝医師(74)は、山内俊明理事長のいわき市立総合磐城共立病院時代の先輩でした。かつて循環器科でともに汗を流し、家が隣同士で家族ぐるみの交流を続けてきました。「仲間」として付き合ってきたという思い出を振り返ってもらいました。山内クリニック開業25周年のインタビュー連載の6回目。
―山内院長との出会いは?
わたしは1976(昭和五十一)年、2年間の東京女子医大内地留学を終えて共立病院に戻り、循環器科の初代チーフとなりました。その翌年、山内先生や菅野和治先生たちが研修医として共立病院に来られました。お二人とも循環器を志望され、私にとっては水戸黄門の助さん、格さんのような頼もしい仲間となってくれました。二人はその後、東京都の榊原記念病院、大阪府の国立循環器病研究センターなどに留学され循環器科のレベルアップに貢献してくれました。
―山内院長の当時の印象は?
国体級のボート選手と聞いて体育会系の青年医師の印象でした。忙しい診療科が希望とのことで、循環器向きだと思いました。わたしの家と隣通しで家族ぐるみの付き合いもありました。夜遅くまで酒を飲み、午前2~3時の我が家のニワトリの第一声が散開の合図になったこともありましたね。スキー、野球、ゴルフの仲間でもありました。
―在宅医療をやりたいと山内院長から聞いた時の気持ちは?
当時は循環器や救急医療に明け暮れる毎日でしたので、在宅医療の話には正直驚きました。在宅医療はお年寄りの医者の仕事のイメージがありましたので。でも、山内先生は世の中の先を見越していたのでしょう。まさに先見の明ありですね。
―現在の医和生会についてどう思いますか?
いわき市でも大きな企業の一つになっているなと思います。最近、介護施設での犯罪、虐待(ぎゃくたい)などのニュースを目にします。医和生会の施設ではお年寄りのご利用者を抑制することも一切なく、職員の接遇も立派です。山内クリニックの評判も良いようです。
―山内院長の長男・山内宏之医師や長女・岩井里枝子医師も山内クリニックで働くようになりました。
お二人とも私の子どもたちの遊び友達で、スキーツアーなども一緒でした。昔から「ヒロ君」「リコちゃん」と呼んでいたので、先生と言うのに戸惑いもありました。宏之先生、岩井先生ご夫妻もしっかり活躍されています。山内クリニック・医和生会は安泰と思います。
―今後の山内クリニックについて
私は74歳、来年から後期高齢者です。最近は白内障で電子カルテの小さい文字に難渋しています。自身の記憶や判断力の低下で患者さんに迷惑を掛けるのが心配です。山内クリニックのことより、自分の引き際を考えているのが本音です。医和生会はこのままでよく、地域に信頼される医療チームであり続けてほしいのです。なぜなら、わたし自身がそのうち利用者になるかもしれませんので(笑)
【山内クリニック開業25周年インタビュー記事】
http://ymciwakikai.jp/blog-category-37.html