当法人医和生会山内クリニック開設前からの患者として山内俊明院長と交流のある永山憲治さん(70)。ともにゴルフを楽しんだ間柄で、同じ平谷川瀬地区で暮らす住民としても温かい目で山内クリニックを見守ってくださっています。「地域に根差した診療所になってほしい」と期待を寄せてくださりました。当法人誕生25周年インタビュー企画の4回目。
↑「地域に根差した診療所になってほしい」と期待を寄せる永山さん
―山内院長との出会いは?
山内院長が市立総合磐城共立病院に勤務していたころから診てもらっています。かれこれ30年前ですね。当時から背の大きいさわやかな印象でした。今でも主治医で大変お世話になっています。
―25年前に山内クリニックが誕生しました。
当時の平谷川瀬地区は医療機関が減っていた時期でした。そんな中で山内クリニックが誕生したのは助かりました。当時わたしは谷川瀬のゴルフクラブの事務局長をしていたので、山内院長をゴルフに誘って毎月一緒にゴルフを楽しんでいましたね。山内院長は体幹が強く、距離が出てすごい腕前。ゴルフをきっかけに家族ぐるみの付き合いになりました。ゴルフクラブは東日本大震災前まで続きました。
―医和生会が高齢者専用賃貸住宅を運営する際に立ち上げた会社「クオラ」の理事も務めていたそうですね。
介護保険ができるころだったか、山内院長から声が掛かりました。毎月数回、仕事後に集まって食事しながら知恵を出し合っていました。会社名を考えたり、住宅の設計に意見を出したり。1年ぐらい続いたと思います。
―医和生会を25年間引っ張ってきた山内院長についてどう思われますか。
当初は5、6人からのスタートでしたが、今はもう職員数が増えて引っ張っていくのは大変だと思います。山内院長は今は休みの時間も少ないのでは? 使命感だけではできない事ですが、やはり本当に強い使命感を持って取り組まれていると感じます。腕が良くて素晴らしい設備があっても粗末に扱う医師にはやはり診てもらいたくない。山内院長とは人間性、フィーリングが合っているので、ずっと主治医でいてもらっています。
―多くの人に満足してもらえる山内クリニックになるよう、これまで患者様の立場からいろいろとご意見も寄せてくださりました。
責任感を持たせるため看護師に名札を付けさせた方がいいと提案したことがありました。それと冬場に入口の自動ドアが勝手に開いて寒かったので、センサー式のドアを変えるように提案したこともありました。ちょうど改修の時期だったのか、タッチ式の自動ドアに変えてくださりました。親しいがゆえに細かい事を言わなければいけないと、いろいろと言ってきました。山内クリニックは患者の声にしっかりと耳を傾けてくれる。多くの患者や住民に愛される山内クリニックになってほしいと思います。
―今後の医和生会に期待することをお聞かせください。
医和生会が谷川瀬になかったら不便。介護が必要になっても安心して通える場所があれば助かりますし、あるというだけで心強い。職員の方々には医療などの知識だけではなく、人間性も学んでほしい。優秀な腕や設備があったとしても最後は人。ちょっとした一言や心遣いがあると、患者はとても喜びます。地域に根差した診療所になってほしいです。
【山内クリニック25周年インタビュー記事】
http://ymciwakikai.jp/blog-category-37.html