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投稿:2018年06月07日更新:2021年05月11日

医和生(いわき)会全体 山内クリニック 多職種連携・地域連携

330. 山内クリニック開業25周年インタビュー③下・薬局タローファーマシー・長谷川祐一社長

当法人の山内俊明理事長と長い交流を持つ薬局「タローファーマシー」(いわき市)の長谷川祐一社長(57)は「患者さんの声に真摯に耳を傾け、そのニーズに応えてきた山内理事長の姿勢が医和生会を支えてきた」と語ります。開業から現在に至るまで客観的に見届けてくださった長谷川社長が、地域のために医療福祉事業を展開する原点をあらためて思い起させます。開業50年、100年に向けて継承の段階に入った医和生会に、第3者から貴重なエールを送ってくださりました。山内クリニック開業25周年のインタビュー連載の3回目の下。

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↑「タローズカフェ」を開店した長谷川社長(左)と、オープニングレセプションに駆け付けた山内理事長=2018年1月11日

―病院勤務から開業を決断しました。
山内先生が師と仰いでいた人がたまたま宇留賀一夫先生(享年86歳・いわき市立総合磐城共立病院名誉院長)で、そこで働いていたのが母親で、その病院に勤め始めたのが僕だった。もう亡くなりましたが宇留賀先生の存在は今でも大きい。共立病院で山内先生が過ごした17年、人のつながり、患者さんのつながりが開業に向けて大きな下地になったでしょう。あの憎まれない人柄だから宇留賀先生や病院、いろいろな人が患者を紹介していた。閉院した四戸医院を引き継げたのも大きかった。四戸先生が訪問診療していた三和(市内の山間部)の人たちとも交流していて、わたしが運転手で山内先生と飲みに行っていた。四戸医院に通っていた患者の集合場所4ヵ所を決めてバスでお迎えした。三和でもさらに奥の地区にも行って、地域医療に入るきっかけになったと思う。

―山間部の患者とも積極的に交流していたのですね。
山内クリニックは地域に必要とされるというよりは、地域が抱える医療課題があって、その時のニーズに合わせて仕事をしていたように思えます。患者の足が無ければそれを確保して受診しやすい環境をつくり、外出が困難なら往診する。山内先生が人を大事にする人なので、協力者も多かった。

―現在薬剤師の訪問が広がっていますが、当時すでに行っていたようですね。
山内先生が訪問した後、その処方せんを受けてわたしが薬を届けていました。当時薬を届けても点数にはなりませんでしたが、その訪問は全国的に珍しかった。これを機に日本薬剤師会で在宅医療に関する委員会の委員も務めたり、モデルケースとして色々な雑誌にも紹介されました。

―介護保険法が制定されたころは?
山内クリニック開業から4、5年目の1997(平成九)年に介護保険法が制定され、日本薬剤師会では介護保険対応の委員会が立ち上がった。そこで薬剤師も介護支援専門員(ケアマネジャー)の資格を取ろうという動きになって、プロジェクトが立ち上がった。それで(長谷川社長は)自主的に介護支援専門員の養成講座などをつくって、1999(平成十一)年には市介護支援専門員連絡協議会を立ち上げた。それによって介護保険に関わる情報がいち早く入手できたのはよかった。ちなみに今年から山内先生がその協議会の会長になりましたね。

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↑インタビューに答える長谷川社長=2018年5月23日

―そのころにケアマネジャーを養成する環境が整い始まったのですね。
介護保険に関する事業で医和生会が最初に始めたのはデイケアだった。勿来地区で日本初のデイケアを始めた齋藤内科の齋藤光三先生(※)からお昼を一緒に食べようと誘われ、山内先生と行った。旧炭鉱の町で低栄養状態の生活困窮者が多く、齋藤先生は病院で食事を提供していた。それで山内先生も介護保険でデイケアを始めるとなって、齋藤先生からスタッフの人員などアドバイスを受けた。

※「日本初のデイケアを誕生させた齋藤光三氏の伝記①」 2017年8月30日投稿:http://ymciwakikai.jp/blog-entry-275.html

―デイケアが始まり、次第に医和生会が拡大していきます。
山内クリニックの忘年会に行ったら、いつの間にか職員が100人になっていた。山内先生に「忙しくなりましたね」と話してまた何年か経ったら200人になった。開業当初は無我夢中だったでしょうけど、25年を振り返って山内先生にとっても「あっという間」だったのではないでしょうか。色々な方々との出会いとつながりでここまで大きくなったと思う。例えば谷川瀬地区の方々とゴルフを楽しむ谷川瀬会があった。人と人のつながりが医和生会を支えている。そしてそのつながりは山内先生の誠実さによるものであり、それが山内クリニックの土台となっているのでしょう。

―開業50年、100年をめざすため、医和生会は継承の段階になっています。
山内先生のポリシー、理念は間違いないもの。それが山内先生の財産になる。200人になった、施設が増えたなどは事業の結果で、継承の原動力にはならない。人と人の出会い、つながりを大切にする誠実な姿勢が山内クリニックを支えているなら、そこを目指していくべきだと思う。

―山内クリニックが今後地域のためにすべきことは。
「地域とともに歩む」のはキーワードになる。超高齢化社会で地域が崩壊している中、それを構築し直す作業に入っている。本来は行政がやらなければならないことを「医療福祉連携」の美名の下に、医者を巻き込んで“使おう”とする国・行政の考え方を感じる。開業してから地域医療を自らつくっていったのも山内先生の功績で、正解だったと思う。型にはまったものをつくるのではなく、患者さんといろいろやり取りして何が必要なのか、継承する方々はそれを考えていくべきではないでしょうか。

―患者様の声に耳を傾ける姿勢は医和生会の礎ですね。
「自分たちができる事」を提供するのではなく、「患者さんが求めている事」を提供してきたから地域に受け入れられ、ここまで大きくなれたと思います。自分たちができる事を提供していてはやがてすたれるでしょう。行政の崩壊によって、健康、経済、就労、社会、家族といった分野のニーズを医療が担うことになった。「地域包括ケア」で医者が行政側から利用され過ぎてはいないだろうか。行政ばかりでなく患者さんと真摯に向き合ってニーズを探り、患者さんのための事業を展開していくことを期待します。原点は今まで25年間やってきた山内先生の姿勢。それを忘れなければさらに発展できると思います。

【関連情報】
医和生会ホームページ:http://iwakikai.sakura.ne.jp/
医和生会グループ・社会福祉法人いわきの里ホームページ:http://iwakinosato.jp/

<25周年インタビュー記事>
「③タローファーマシーの長谷川祐一社長・上」 2018年6月6日投稿:http://ymciwakikai.jp/blog-entry-488.html

「①開業当初からの勤続職員」2018年4月12日投稿:http://ymciwakikai.jp/blog-entry-449.html

「②山内真理子専務理事」 2018年5月1日投稿:http://ymciwakikai.jp/blog-entry-462.html

「山内クリニック開業24周年・山内院長にインタビュー」 2017年4月12日投稿:http://ymciwakikai.jp/blog-entry-158.html

<その他>
「タローズカフェの紹介」 2018年1月12日投稿:http://ymciwakikai.jp/blog-entry-381.html

「タローファーマシーの農業の取り組み」 2017年7月19日投稿:http://ymciwakikai.jp/blog-entry-240.html