↑当法人の山内理事長との交流などを語る薬局タローファーマシーの長谷川社長
―山内理事長との出会いは?
山内先生が勤務していたいわき市立総合磐城共立病院の東6階(循環器内科病棟)の看護師長が母親でした。そのつながりでよく山内先生が家に遊びに来ていました。当時高校生で「母親の同僚の方だな」としか思っていませんでしたが、そのころから面識はありました。その時期の循環器内科の部長は宇留賀一夫先生(享年86歳・名誉院長)で、山内先生の臨床の“師匠”でした。宇留賀先生を介して山内先生と家族がつながり、この縁のキーパーソンだったと思います。
―その後、長谷川社長は薬剤師として共立病院に勤務されますね?
1988(昭和六十三)年から働きました。母親のお陰で東6階の人たちとは仕事以外でも親睦を深めていました。当時の山内先生の印象は「なんて細かい処方せんを書く人だ」と思った。ほかの医師とは違って容量も0.1ミリ、0.2ミリ単位で書いてきて、調合にとても時間の掛かる薬剤師泣かせの先生でした笑 でもその処方せんには患者の体調に合わせて一人一人真摯に向き合っていた性格が表れていました。母親から「そこまでしなくてもいいというくらい真面目にやる先生」と聞いていた通りでした。
―仕事以外でも交流があったのですね。
病院や病棟でレクリエーションや旅行、いわき踊りにも山内先生と一緒に参加していました。山内先生の企画でスキー旅行にも行きました。仕事だけではない関係があって、交流も深まっていきました。
―飲み会はいかがでした?
山内先生はそんなに!?というくらいお酒を飲む。心配するぐらい。わたしはお酒が飲めないのでいつも運転手でした。飲みに行くと山内先生以外はみんなつぶれるので、最後まで話すのはわたし。先生も酔っぱらっているけど、話し相手はわたししか残らないので話す機会は多かったですね(笑)
―山内院長から開業の話を聞いたことは?
ある行事の打ち上げの時にその話が出ました。今は「在宅」「地域包括ケア」などの言葉がありますが、当時まだなかった時代。夫婦が施設に入った時に離れ離れにならないよう、最期までサポートできる医療を実践したいと言っていました。山内先生は奥さん大好きな方ですから、自分が奥さんと別れたら生きていけないという気持ちがあったのでしょう(笑)アメリカにシルバータウン構想があって、夫婦仲良く人生の最期を過ごすのが言われた走りの時代でしたね。
(つづく)
【関連情報】
医和生会ホームページ:http://iwakikai.sakura.ne.jp/
医和生会グループ・社会福祉法人いわきの里ホームページ:http://iwakinosato.jp/
「薬局タローファーマシー」ホームページ:http://taropha.la.coocan.jp/shop/tenpo.htm
【関連記事】
「山内クリニック開業24周年・山内院長にインタビュー」 2017年4月12日投稿:http://ymciwakikai.jp/blog-entry-158.html
<25周年インタビュー記事>
「①開業当初からの勤続職員」2018年4月12日投稿:http://ymciwakikai.jp/blog-entry-449.html
「②山内真理子専務理事」 2018年5月1日投稿:http://ymciwakikai.jp/blog-entry-462.html