当法人医和生(いわき)会のある福島県いわき市から西に約1000キロ離れた熊本市で、当ブログとフェイスブックページをご覧になっているTさん(50)。当法人とは縁もゆかりもございません。Tさんのフェイスブックページをのぞかせていただくと、難病や障がいと闘いながら一人で在宅生活を送っていらっしゃる様子。「一体どう在宅生活を送っているのか」「在宅療養を望むも不安を抱く人に勇気を与えるのでは―」。ご無礼なお願いを承知でインタビューを依頼したところ、快諾してくださりました。Tさんは、中学生時代に余命宣告を受け、これまで19もの難病と障がいを経験しながらも「なんとかなる」と人生を前向きに歩み、余命を大きく超えた今なお元気に生活していらっしゃいます。なぜ一人暮らしを始めたか、どう生活しているのか、熊本地震の体験など、一問一答で2回に分けてご紹介いたします。
―いつから、どういった難病や障がいと闘っていらっしゃいますか?
中学3年生の時に子宮肉腫(しきゅうにくしゅ)を患ったのが始まりです。子宮、卵巣の広範囲摘出手術をしてリンパ節廓清(かくせい)(※1)し、抗がん剤放射線治療をしました。その後、数々の難病や障がいを患いました。今まで治療した病気と現在も進行中の病気を挙げると、子宮肉腫、特発性大腿骨頭壊死(とくはつせいだいたいこつとうえし)(※2)、全身性エリテマトーデス(※3)、呼吸機能調節障害、網膜脈絡膜(みゃくらくまく)欠損.IgA腎症(※4)、汎血球減少(はんけっきゅうげんしょう)症、パニック障害、発達障害、双極性障害、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、アダルトチルドレン、解離性障害、腎結核、重複腎盂尿管(じゅうふくじんうにょうかん)症(※5)、神経因性膀胱(しんけいいんせいぼうこう)(※6)、不明熱(※7)、痙攣(けいれん)、意識障害、線維筋痛(せんいきんつう)症(※8)です。これまでは病気ばかりでしたが、つい5カ月前には胸腰椎(きょうようつい)を圧迫骨折しました。
※1. リンパ節廓清: http://ganjoho.jp/public/qa_links/dictionary/dic01/lymph_setsukakusei.html (国立がん研究センターがん対策情報センター:)
※2. 特発性大腿骨頭壊死:http://www.nanbyou.or.jp/entry/160 (難病情報センター)
※3. 全身性エリテマトーデス:http://www.nanbyou.or.jp/entry/53 (難病情報センター)
※4. .IgA腎:http://www.nanbyou.or.jp/entry/41 (難病情報センター)
※5. 重複腎盂尿管:https://www.shouman.jp/details/2_17_43.html (小児慢性特定疾病情報センター)
※6. 神経因性膀胱:http://juntendo-urology.jp/disease/%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E5%9B%A0%E6%80%A7%E8%86%80%E8%83%B1/ (順天堂大医学部附属順天堂医院泌尿器科)
※7. 不明熱:http://www.jslm.org/books/guideline/05_06/009.pdf (日本臨床検査医学会)
※8. 繊維筋痛症:http://www.rheuma-net.or.jp/rheuma/rm120/kouza/senikintsu.html#q01 (リウマチ情報センター)
―中学生時に大変な手術を受けられたのですね。
この時、両親は主治医から「この娘は30までは生きられないだろう」と余命宣告を受けていたようです。わたしは当時14歳でした。この余命宣告については、最近家族から聞きました。今は50歳で、20年はおまけの人生です。
―どのように一人で在宅療養なされていますか?
以前は実家で過ごしていましたが、6年前から一人で在宅生活をしています。最初は訪問診療や訪問看護を受けていましたが、現在は症状も落ち着いているので月1回、病院診療をしつつ在宅介護酸素療法を受けています。それと、ヘルパーさんが週3回きてくれます。引きこもりを防ぐことも考え、入浴や食事の提供も兼ねてデイサービスに週4回通っています。
↑お年寄りや車いすでも乗り降りしやすい超低床車両が特長の熊本市電「COCORO(こころ)」。Tさんも利用しています
―外出はどうなされていますか?
病気を抱えて一人暮らしは大変だろうと思われがちですが、わたしはまだ1人で外出したり家事をしたりすることができ、電動車いすでバスや市電を利用してかなり遠くまで行くことも可能です。でも、進行すればそれも出来なくなるかもしれません。病院への移動は、母と同席が原則で自家用車に移乗して連れて行ってもらいます。弟は「姉貴がいるから、お母さんが元気なんだ」といいますが、幸い母は元気で来年喜寿を迎えます。あと10年は乗ると新車を購入するくらい元気で、おかげでわたしの所にも時々訪れます。ありがたいです。
―在宅生活を一人で送ろうと決断した理由は?
家族から離れて一人暮らしをしようと選択したのは、母への反発心と、将来両親が先に逝ってしまう可能性が高いので一人暮らしの予行練習のためです。母とわたしは性格が似ているため毎日のように衝突していました。毎日小言を言われてけんかばかりの生活をしても楽しくない。それと、母は「年金だけでは一人暮らしなんて無理」と、たかをくくっていました。順番から考えると親が先にいなくなり、取り残された時にわたしはどうなるのか、きっとパニックを起こすだろうと思いました。それならば、生きているうちに予行練習も必要かと、一人での在宅生活を決断しました。そうすれば両親も安心して逝くことができます。そう思い立って、両親が仕事に出ている間、相談もせずに家出同然で一人暮らしを始めました。心配させないよう、2日目には電話番号を教えました。
(4日に続く)
【ドキュメント記事】
「『なんとかなる』~一人、在宅療養~㊦」 2017年7月4日投稿:https://iwakikai.jp/blog/2225/
「認知症の妻を支えるご利用者様の介護日記㊤」 2017年5月6日投稿:https://iwakikai.jp/blog/2122/
「認知症の妻を支えるご利用者様の介護日記㊦」 2017年5月13日投稿:https://iwakikai.jp/blog/2135/
「終末期を送る104歳女性、長男、介護施設のドキュメント ㊤」 2017年3月31日投稿:https://iwakikai.jp/blog/2059/
「終末期を送る104歳女性、長男、介護施設のドキュメント ㊥」 2017年4月7日投稿:https://iwakikai.jp/blog/2040/
「終末期を送る104歳女性、長男、介護施設のドキュメント ㊦」 2017年4月14日投稿:https://iwakikai.jp/blog/2050/