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投稿:2017年11月07日更新:2019年12月04日

177. ご家族と歩んだ91年・ご利用者様の人生録

ご家族の介護を受けながら終末期を過ごしていたいわき市のあるご利用者様は今年3月、自宅で静かに息を引き取りました。91歳でした。医和生会の訪問診療とコスモス訪問看護ステーションを利用しながら在宅療養の生活を送っていました。青年時代には海軍予備学校で終戦を迎え、勉学に励んだものの両親から家を継ぐよう命じられて夢半ばで帰郷。脳梗塞(こうそく)で倒れてからは、ご家族の支えで守り続けた家で生活することができました。在宅療養を通しご家族が受けた贈り物とは。妻(84)や同居する三女さん(57)のお話を基に一人称でつづった、ご利用者様の人生のストーリーです。

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↑終末期にご利用者様が過ごした部屋=2017年9月19日

● 寝室には手作りの置物
自宅の西隣に増築されたスロープ付きの家屋。わたしは生前、ここの和室で終末期を過ごしました。妻に「ベッドをあっちに向けろ、こっちに向けろ」と大声を出したこともありました。布団を投げたり、ベッドの柵を外したりして、よくけんかもしました。騒がしい日々を過ごした6畳の部屋には、もうベッドはありません。障子戸を背にした床の間には、ニスで丁寧に磨いた大木の置物。物づくりが大好きだったわたしが丹精込めて仕上げたものです。柔らかい秋の日差しに白く輝いていました。

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↑物づくりが好きだったご利用者様が作った置物

● 飛行機の設計士の夢をあきらめ帰郷
わたしは1925年10月、いわき市四倉町で二男として生まれました。勉学に励み、旧制磐城中学校(現・磐城高校)に進学。卒業後、飛行機の設計士を夢見て仙台市の大学に進学しました。ですが、学徒出陣で神奈川県横須賀市の海軍予備学校に入校し、そこで二十歳で終戦を迎えました。「終戦時、自ら命を絶とうと思ったが、生き恥をかいて帰ってきた」。わたしはずっとそう思っていました。だから「人生は二十歳から始まった」。戦後、復学はしましたが兄が戦死し後継ぎがいなかったため強制的に学費を絶たれ、1年足らずで実家に帰りました。それでも勉強をあきらめませんでした。次は裁判所の書記官をめざして法律を学びました。試験には合格。でも親は反対し、結局書記官になることもできませんでした。家を継いで農家となってから、29歳で結婚しました。農家になってからは、地域のまとめ役も担いました。30代で区長を任されたほか、地元の農業協同組合(JA)の理事も務めました。昭和40年代には当時井戸水で生活していた地区に簡易水道を整備するため、行政との交渉役を担当したことも。三女から「周りから信頼され、多くの人が集まってくださった人生だった」とわたしの生き方を振り返ってもらいました。

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↑戦時中の写真

● 脳梗塞で左半身全まひ、短期記憶力も失う
わたしは2010年12月、重度の脳梗塞で倒れました。左半身がすべてまひし、短期の記憶力も失われました。リハビリで体力が回復した半年後に退院しました。家で介護できるだろうと判断した妻の支えを受け、自宅で生活し始めました。夜中、隣の部屋で眠る妻を「おー、おー」と呼んだこともありました。妻が来ないとベッドを揺すったり、布団や枕を投げたりして、部屋を散乱させてしまったこともありました。主家で生活する三女夫婦は日中はいないので、妻一人から介護を受けました。トイレに連れて行ってもらっても、2分後にまた「トイレ」と言って介助を求めたこともありました。デイサービスの無い日は妻は一日中見守ってくれました。妻の言うことを聞かずイライラさせ、けんかもよくしてしまいました。

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↑ご利用者様が物つくりに打ち込んでいた作業小屋

● 左半身まひ でも作業小屋に行きたい
ものをつくるのが大好きでした。入院する前までは角松作りや竹細工などを作業小屋でやっていました。夢中になり、一日中こもる日もありました。でも、脳梗塞後はできなくなりました。おかしいな、なんでできないんだ。三女の目には「左半身のまひが自覚できていないようで、右手だけで何でもできると思っている感じだった」と映っていたようです。でも時々何か作りたくなりました。そんな時は妻に作業小屋に連れて行くよう頼みました。妻は「雨降ってるよ」と言います。でもどうしても行きたいと訴えました。妻は根負けし、小屋まで車いすを押してくれました。でも何もつくれません。しばらくすると心が落ち着きます。「部屋に戻る」。妻にそうお願いしました。

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↑ご利用者様が作ったじゃんがらの置物

● 昨年末に肺炎 在宅療養に
昨年末、肺炎を患い主治医のいる山内クリニックに行きました。この時、家族が看取りに備えるようアドバイスを受けました。在宅療養を勧められ、訪問診療と訪問看護を受け始めました。妻は「他人を家に入れることに抵抗があったし、時間にしばられる」と不安はあったようですが「背に腹は変えられなかった」そうです。でも、定期的に看護師が来てもらえたことで、妻は介護の相談や愚痴(ぐち)を聞いてもらっていました。苦しい時は、夜中でも電話して看護師に来てもらいました。

● 孫から痰の吸引も
どうしても食べられない物がありました。それは牛肉です。うし年なので牛に思い入れがあり、それを食べずに生きてきました。牛肉の成分が入っている栄養剤も断りました。妻はタンパク質の効果的な摂取法のアドバイスを看護師から教わって、工夫してくれました。痰(たん)が詰まった時は苦しかったです。その度に看護師に来てもらいました。でも緊急で吸引してもらいたい時もありました。そこで妻は看護師から吸引法の指導を受け、一度挑戦しましたが怖くてうまくできなかったようです。考えた看護師は積極的に介護に参加していた同居する高校生の孫に吸引法の指導を提案しました。わずか数回でしたが、孫に吸引してもらったのはいい思い出です。

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↑作業小屋内

● 孫にだけ伝えたこと
家を優先して夢はあきらめましたが、両親とけんかすることはありませんでした。妻にその恨みを話したこともありません。ただ、妻や3人の娘たちにも明かさなかった思いを、孫にだけもらしたことがありました。「勉強したかった」。自分はできなかったけど、孫に頑張ってほしいな。

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↑脳梗塞で倒れるまで枝切りのためご利用者様が登っていたという庭木

● 老いと死を見る在宅療養 孫への贈り物
今年3月のある日。2日前から元気がなかったけど、この日は普段通り朝食を食べられました。妻はその様子に安心したようでした。ベッドで横になった時、妻から「誰だか分かる?」と聞かれました。もう最後かな。いろいろ迷惑を掛けてしまったね。「お姫様」。ありがとう。今まで「愛してる」「かわいい」とか言ったことなかったけど、これが妻へ最後の甘い言葉。眠くなってきた。「おれは眠るからいいんだ」。酸素マスクを外しました。妻は再びマスクを装着させて部屋を出ていきました。5分後に「またマスクを外しているだろう」と心配した妻が戻ってきました。でもその時にはもう風のように、天国へ旅立っていました。三女から「子どもたちに『こうやって人は老いて死ぬ』というのを身近で見せてくれたのは、父からの最後の贈り物だった」と思ってもらいました。駆けつけてくれた孫が離れずに、ずっと頭をなでてくれてうれしかったです。

<あとがき>
この度、ご家族の多大なるご協力を得て、ご利用者様の人生についてお話をうかがわせていただきました。奥様やご家族の並々ならぬ介護は大変だったと察します。ですが、そのおかげでご利用者様は、人生をともに歩んだ住み慣れた家で最期を迎えることができ、喜ばれていらっしゃると思いました。「自分の仕事だと思って介護をしていた」と奥様はおっしゃり、その辛さがうかがえました。でも「お姫様」という最後の言葉は、シャイだったというご利用者様が贈った奥様への感謝のメッセージだったと確信しております。お孫様との触れ合いの話も印象的でした。自宅での生活によって「老い」と「死」に触れ、たくさんのことをご利用者様から学ばれたようでした。在宅療養では、こうした経験も得られるとあらためて勉強させていただきました。あらためまして、ご家族の皆様に感謝を申し上げます。

【ドキュメント関連記事】
<医を業として・齋藤光三氏伝記>
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<終末期を過ごす104歳女性とその長男の想いに迫ったドキュメント>
「㊤104歳女性の人生と最期への想い」 2017年3月31日投稿:https://iwakikai.jp/blog/2059/

「㊥介護する長男」 2017年4月7日投稿:https://iwakikai.jp/blog/2040/

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<認知症の妻に寄り添う夫の介護日記>
「㊤腹を立てない」 2017年5月6日投稿:https://iwakikai.jp/blog/2122/

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<難病や障がいと闘い1人在宅生活する女性へのインタビュー>
「㊤19もの難病、障がいを経験」 2017年7月1日投稿:https://iwakikai.jp/blog/2223/

「㊦熊本地震の被災経験も」  2017年7月4日投稿:https://iwakikai.jp/blog/2225/