いわき市で牛乳を唯一製造・販売する「木村ミルクプラント株式会社」は、創業から1世紀以上に渡って市民に健康とおいしさを届けています。ゆっくり殺菌する「パスチャライズ製法」(※)で生み出される「木村牛乳」は栄養分が高く、牛乳本来のコクと風味を味わえます。戦中・戦後の混乱期に事業拡大に挑み、高度経済成長期に直面した経営危機には数々の改革で打破。東日本大震災の難局でも商品開発を止めずに攻めの姿勢で乗り越えます。努力とチャレンジ精神で数々のピンチをチャンスに変えて100年超。新型コロナウイルス禍の現在も、パッケージを刷新するなど新時代に向け挑戦しています。
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「木村牛乳」の特徴:「パスチャライズ」と呼ばれる殺菌方法で製造。多くの大手メーカーは120度以上の超高温により数秒間で殺菌する一方、「木村牛乳」は85度で15分間、特殊な窯で熱して仕上げます。超高温殺菌と比べて生産に時間と手間を要しますが、超高温では破壊される栄養分を残すことができ、牛乳本来のコクとまろやかさも保つことができます。
● 牛の相続を機に誕生
「木村ミルクプラント」の前身の「木村牛乳店」は1918(大正七)年に誕生。木村歳夫初代社長が農耕用の数頭の牛を相続して分家したのがきっかけでした。農家だった歳夫初代社長は乳業を副業としていましたが、戦後の食糧難の時代に牛乳が売れると見て農業を止めてチャレンジ。当時、周辺の町村は馬耕だったため牛乳が入手しにくく、商業で栄えた近隣の平町は牛乳を求める商家が多かったという。牛の頭数を増やし、親族全員に牛の世話や配達を任せる家族経営で拡大していきました。
● 販路拡大の努力、積極的な改革
人に好かれた木村三郎二代目社長の時代には妻・イネ子さんが奮闘。二人の子を育てるため、朝から晩まで配達自転車を走らせて販路を広げたといいます。小規模な生産・店舗で経営が限界に達した1977(昭和五十二)年、現在の木村謹一郎社長が三代目に就任。あいまいだった給与体系を見直し、組織再編、工場の増築、90年代中ごろには当時最先端のオフィスコンピューターでの顧客管理を導入し、次々改革していきました。
● 風評被害の逆境にも攻めの姿勢
東日本大震災で風評被害を受けた逆境下でも、新商品の開発を続ける攻めの姿勢を崩しません。持ちやすい形を考えた「飲むヨーグルトボトル」や、ミルクジェラートは被災後に生み出され、ご当地商品やお土産関連の賞を受賞して新たな魅力を創出。2000年代から現在まで23もの新商品を世に送り出し、新たな主力商品を生み出して乗り越えます。さらに今年のコロナ禍では温泉施設や宿泊施設などが営業停止したことで卸先が断たれる事態に。それでも平時に始めていた別の販売チャネルであるホームページからの注文が増加し、顧客が減っていた昔ながらの宅配サービスが外出自粛下でニーズが高まる好機も。「木村牛乳」の変わらぬ味を1世紀に渡って守り続けた陰には、攻めの努力とチャレンジ精神がありました。
● 新時代への挑戦
後継者となる社長のご子息が3年前に入社し、新しい時代に向けた挑戦も始まっています。3年前の当時、国内初という飲み口付きのスパウト容器入りヨーグルトを開発。手を汚さずに開封できるようになり、賞味期限の延長にも成功しました。今年4月には「木村牛乳」のデザインを刷新。女性や子どもが手にしたくなる親しみやすさを目指したデザインは東北経済産業局長賞を受賞しました。同社管理部の猪狩佐太幹課長は「社長は『牛乳は天然のサプリメント』とよく言うように、これからも健康を届けていきたい」と話します。後継者の品質管理課・木村俊太郎さんは「お年寄りだけではなく、若い方への認知度を上げたい」と、今後の目標を語っていました。
【関連情報】
木村ミルクプラント株式会社ホームページ:https://kimura-milk.co.jp/
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